ヘドニック・トレッドミル現象と呼ばれる現象があるそうです。
あるとき幸福感を感じても、時間の経過とともにそれに慣れてしまい、幸福感が薄れてしまうこと。
hedonic = 快楽の。
treadmill = トレッドミル、いわゆる「ランニングマシン」。スポーツジムにあるようなアレですね。
快楽を求めて走り続けても終わりがないことを、このような言葉で表すようです。
どんなお金持ちだって、お金持ちの生活にはやがて慣れてしまい、それが「普段のあたりまえの生活」になってしまう。庶民からみてどれほどうらやましい毎日であっても、慣れてしまったら、つまらない生活にすぎなくなるのでしょう。
庶民だって同じですよね。
では、今の「あたりまえ」をあたりまえと感じてしまうのではなく、幸福感や感謝の気持ちを持ち続けて生活するためにはどうしたらいいでしょうか。
そこで、あえて生活レベルを下げるというのはどうでしょうか。
あえて生活レベルを下げる。
例えば、どんなにおいしいものを食べても慣れてしまって有難みがなくなるのなら。
わざと、食べ物のグレードを下げてしまうんです。
以前、こんな記事を読みました。
あえてコーヒーのランクを下げる。
それができれば、幸せでいられる。そんな記事です。
あえて低いランクのものを試してみる。
- うまくすれば、低ランクのものでも普通に満足できるかもしれない。
- 低いランクで「コスパ」がいいものを探すという、新しい楽しみ方が見つかるかもしれない。
- 満足できないものしかなかったとしても、以前のものの良さを再認識できる。
どの結果になってもよさそうです。
業務スーパーの米。
というわけで、話は飛びますが、業務スーパーで米を久しぶりに買ってみました。
(ふるさと納税の返礼品でもらった米を、ぜんぶ子どもに送ってしまったので)
買ったのは、いちばん安かったコレ。
表示はこんな感じ。
国産であることは確かですが、品種はもちろん収穫年さえわからない、複数原料米です。
価格は5kgで1250円+税。隣に積んであったアメリカ産の米よりも安い、その店に置いてあった米の中で最安です。
私が普段スーパーで買っている米は、5kg1600円ぐらい。それに比べてもかなり安い。
画像ではわかりにくいですが、真っ白だったり白っぽい米の割合が多い。「いい米」だと真っ白な米はなく、全体的にもっと半透明感がありますが、それに比べて、いかにも安くて等級が低そうな外見です。それになぜか小粒。割れ米というわけではなさそうですが、なぜか米粒が小さいのが不思議。
ところが。
普通に炊いて食べてみると、結構大丈夫だったんですよ(個人の感想)。貧乏舌の私ですが、少なくともスーパーの5kg1600円ぐらいの米と比べても、思ったほど違いがない感じがしました。
以前、業務スーパーで、当時最安だった5kg880円の米を買って食べたことがあります。そのときは、「うーんさすがこの値段!」と思ったものでした。割れ米が多く、炊いたごはんがかなりパサパサしていたんです。さすがの私も2回目は買いませんでした。
それに比べると、今回のものは普通に食べられます。(値段も、880円よりはずいぶん高いですからね)
というわけで、これからはしばらくこの米で暮らすことにします。
こうすれば、たまに「普通の米」を食べるだけで「このごはん、うまいな!」と、いつまでも感動できるわけです。
限界効用逓減の法則に逆らう試み、とでも言えるのかも?