自分の子どもにしておきたいと思う話をまとめがてら、ブログ記事を書いているシリーズ。
前回からの流れの続きです。
妻の実家と私の実家を比べてみて改めて感じるのは、「時代の流れに乗るかどうか」ということ。
義父の株式投資。
個人事業主だった義父は、商売こそごく小規模だったものの、株に投資して資産を築きました。高度成長期の当時は株式投資などまだごく一部の人に限られたでしょうし、「株屋」と呼ばれ、今よりも一層ギャンブル扱いだったに違いありません。
※もし投資に大成功していたら、きっと今ごろはもっと大金持ちだったでしょうけどね。
草創期のイトーヨーカドー(セブンイレブン)などの株をわずかでも持ち続けていたら…と思うと。
それはきっと、経済が急成長する時代の流れにうまく乗れたということなのでしょう。
結果的に,ということかもしれませんが。(バブル崩壊後はうまくいかなかったようです)
実父の地道な生活。
一方、実父は地道なサラリーマン生活。東京郊外のベッドタウンに絵に描いたような家を買った程度で、投資などを積極的に行ったフシはありません。
でも、当時はそれでも十分「正解」だった時代でした。
事実,バブル崩壊後に不動産価格が急落した後でも,実家の土地は購入価格の数倍で売却することができました。
大企業の社員として「普通の生活」をしていれば,十分問題なく一生を送ることができた時代だったんです。なので、ある意味では父も時代の流れに上手く乗れたということでしょう。
では、これからの時代は?
義父が,時代の流れや高度成長、経済の拡大を読んで株に投資したのかどうかはわかりません。(おそらく、それほど大仰なことではないでしょう)
実父も、時代の流れを読んでいたとは思えません。おそらく、サラリーマン以外の人生はありえないと無意識に思っていた程度でしょう。
でも、どちらも結果的に「上手く流れに乗る」ことができ、人生を全うできました。
では翻って、今の時代、これからの時代はどうか?
わかりやすい、「大きな物語」、つまり誰もが信じられる共通の価値観は、すでになくなってしまいました。
川の流れは複雑になり、先は見えない。
「この道しかない」と突き進むことができる、「確実な」道はありません。
それでも、人生ですから立ち止まることはできません。
とにかく進まなければならない。
常に回りを見回して情報を入手し、しかも情報の洪水に溺れることなく、方向が違うかもと思ったら進路を変更することもいとわず、そして選択の結果を誰のせいにするでもなく自ら引き受けなければなりません。
誰も経験したことがない未来。
これまでもずっとそうだったはずですが、今後はますます混沌の度合いを増し、激しく変化するように思えます。
親の立場としては、子供たちが荒波の中を無事に泳ぎ切ってくれるよう、最後は願うことしかできません。