前回は、育った家庭によって職業観やお金に対する考え方が違ってくるのではないかということについて書きました。
今回はその続きです。
なぜそのように思うに至ったかというと、前回書いた『3種類の日本教』
という本だけでなく、もっと身近な例に気付いたからです。
妻の実家と、私の実家の違い。
それは、妻の実家と私の実家の違いです。
妻の両親は、戦前~戦中派。個人事業主として自営業を営んでいました。詳しいことは知りませんが、高度成長期の頃から株への投資もやっていたようで、生活自体は極めて質素だったものの、子どもを何人も私立医歯薬系大学に通わせるほどの資産を作りました。また、不動産売買も自分で積極的に考えるなど、戦前・戦中派のバイタリティがあったようです。
それに対して、私の父は同じく戦中派でしたが、典型的な東北の農家の次男坊。就職後東京に出てきて、高度成長期には東京郊外のベッドタウンに家を買い、そのまま定年まで勤め上げた、当時の絵に描いたようなサラリーマンでした。
妻と結婚した後で、そのような「育った家の環境」の違いを漠然と感じたものです。
妻は結婚前から証券会社に口座を持って投資をしていましたが,バブルの時代であったにしても現在と比べるとまだまだ多数派ではなかったはず。きっと、そのような家庭で育ち親の姿を見てきたからもあったでしょう。
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ところで,そんな典型的なサラリーマンの父に育てられた私ですが、私も兄も妹も、今は「堅い」勤め人ではなくなってしまいました。もしかしたら母の影響もあるのかなと考えてみたりもしています。
戦後派の私の母は、商店主だった祖父と離婚して今でいうシングルマザーとなった(私からみての)祖母に育てられましたが、経済的には苦しかったようです。そのためかどうか、私の母方の親戚は、自営業者や、「手に職」、「士業」系の人が多い。そういう方面の血を私も受け継いでしまったのかな。
地主の子、農家の子、資産家の子、企業経営者の子、サラリーマンの子、消防官の子、……などなど、それぞれがみんな、自分で意識しないまま、親の姿を見,考え方に触れながら,独特の職業観・金銭感覚をもって育っているのだろうなと思ったりします。
むかし父が使っていた、由緒正しいそろばん。
ほこりだらけ。