夏休みの宿題、本人はもちろん、おとうさん・おかあさんも頭の痛いことでしょう。
私は特に、子どものころ自由研究と読書感想文が大嫌いでした。
そして今、大人になって親の立場になっても、自由研究は嫌いです。
(ただし、ウチの子どもらの夏休みには、なぜか自由研究と読書感想文の宿題はほとんど出ませんでした……。学校によっていろいろなのでしょう)
それはなぜか。
嫌いな理由その1:定義がはっきりしない。
学校によっては内容が詳しく丁寧に指示されるのかもしれませんが、世間一般で「自由研究」と言われるとき、それがいったい何を表しているのかが、ちっともはっきりしません。
「こういうのも自由研究にどうでしょう」
「夏休みの自由研究になるかもしれませんね」
「夏休みの自由研究にと、子供たちが熱心に取り組んでいました」……というようにテレビの番組やニュースで取り上げられる内容は、工作だったり体験教室だったり見学会だったり、いろいろです。
一体、自由研究って何なんでしょう?
もともと理系の私としては、「研究」というなら、「仮説を立てて検証のための方法を考え、実験し、結果をまとめ、その結果について考察する」という流れを考えてしまいますが、どうもそういうものだけを指しているのではなさそう。
全くわけがわかりません。
嫌いな理由その2:子どもに丸投げ?
宿題に出すのなら、学校で内容や方法などについて、それなりの指導がされているべき。しかし、学校で「自由研究のやり方」なんていう指導がされているんでしょうか?
されていませんよね?
何をどうやればいいのか教えず子どもにただ「やれ」というのは、あまりに無責任では。
※ウチの子どもらが通っていた小中学校では、毎年、たしか「子どもたちの理科研究」といったような題名の、非常に地味な体裁の小冊子が数百円で希望者に販売されていました。記憶の限りでは、それには模範的な理科の自由研究が載っていたと思いますが、それを販売するだけが自由研究の指導ではありませんよね……。
「調べ学習」に呼び名を変えればいいのに。
小中学校では、自由研究という言葉はおそらく夏休みの宿題にしか出てきません。
学校で習うことの文脈に入っていない、唐突感があります。
いっそ、大昔からの自由研究という言葉をやめて、今の学校でこれでもか!と使われている「調べ学習」という言葉に変えればいいのにと思います。
理科に限らず、国語でも算数でも社会でも、身近な疑問点を探して自分で試してみたり、調べたりして、その結果をまとめる。それが、今「自由研究」という言葉で表されている内容ではないでしょうか? (さすがに、工作類は「自由研究」や「調べ学習」の範疇に含めるのは無理があると思いますが)