私は,小学校のPTAのいわゆる ”本部役員” を何年も務めてきました。PTA会長も計4年間。10年以上前のことで,小中学校のPTAを引退してすでにもう何年も経っています。
最初に本部役員の声がかかったとき。なぜ引き受ける気になったかを,今でもよく思い出します。
当時,毎日毎日忙しく仕事をしていましたが,それでも在宅フリーランスの生活でしたから,時間の都合はいくらでもつけられました。
忙しいのは確かだけれど,仕事は潤沢にあり,生活に困ることは何もない。
しかし,こんな引きこもり同然の生活のまま,将来なにか困った事態になったとき,誰か自分を助けてくれる人はいるだろうか?
大げさな言い方ですが,「何か人のためになることをしておかないと,バチがあたるんじゃないだろうか? このまま死んだとして,誰からも惜しまれないんじゃないか?」なんてことを考えたんですよ。
そんな風に考えるようになったのが,今から思うと少し意外です。
というのは,もっと若いころに思ったことがあったからです。
よく世論調査などで,「将来,どのような生活をしたいですか」といった質問をみかけます。
選択肢は,
- 自分の趣味に合った生活。
- 人の役に立つ生活。
などなど(他が思い出せません…)。
そういう調査をみるたび,「こんなの「自分の趣味に合った生活」がいいに決まってるじゃん」と思うような人間だったんですよね。「人の役に立つ生活」なんて,そんな聖人君子のような,偽善的な……と。
そんな私が,いつのまにか「人のためになること "も" しなきゃ」と考えるようになっていたんですから驚きです。
もちろん,積極的理由ではありません。回り回って自分のためですから。
文字通り,昔からの意味での「情けは人のためならず」。そうすることが回り回って自分のためにもなるという,ある意味打算的な考えです。
ノブレス・オブリージュという言葉をときどき見かけます。
もともとは身分社会,階級社会の中での言葉なのでしょう。
身分の高い者,高貴な者は,それに応じて義務を負い,義務を果たさなければならない。そんな意味だろうと理解しています。
私は自分が "高貴" だなどとは決して思いませんが,少なくとも「たまたま」「いま」生活に困っていないのは確か。その余裕をどこかに還元しなければならないのではないかと,何か無意識下でせき立てられているように感じることがあるんです。
「お天道様が見ている」というか。