ヨシタケシンスケさんの『ヨチヨチ父』が炎上したとか?
そして、擁護のコメント多数とか。
どうやら、冒頭の
「出産する妻にドン引き」とか
「生まれたての赤ちゃんにショック」
という場面だけを切り取られた批判だったようですね。
この本は新米おとうさんのその後の成長を描いたもののようですから、スタートはむしろそれぐらいでちょうどよかったのではないでしょうか? 十分ありそうなことですしね。
そんなコメントを読んでいたら、私が立ち会った最初の出産のときのことを思い出しました。
1人目の長男は立ち会い出産。
2人目の長女は、理由は忘れましたが立ち会い不可で、通常分娩。「立ち会いできる分娩室が空いてなかった」のが理由だったような気が。
末っ子は帝王切開だったので、私は病室で待機でした。
36時間の立ち会い出産。
長男の出産のときの話です。
夕方あたりから「…?…?」と気配を感じていた妻でしたが、いよいよ本番が来たらしいと覚悟を決めて、妻と2人で夜遅く病院に。でもまだ時間がかかるだろうということで、私はいったん帰宅しました。
翌朝、妻からの電話で起こされました(当時はまだ携帯電話がなく、固定電話の子機を枕元に置いて寝ていました)。頼まれたものを買ってまた病院へ。このとき、バナナとかプリンを買っていったような気が。
私が病院に着いても陣痛は全然進んでおらず、結局、陣痛促進剤を使うことになりました。
そうこうしているうちに、さすがに陣痛が大変になってきて、私は痛い腰を押したりマッサージしたりいろいろやっていましたが、それでもやはりなかなか進まず。
微弱陣痛とか、遷延分娩というものかもしれません。あるいは回旋異常(赤ちゃんが分娩の過程で回転する動きが正常に進まない)だったのか。助産師さんたちが相談していた風景を覚えています。
夜も遅くなり、私は妻が横になっているベッドサイドで突っ伏して寝てしまいました。
翌朝(つまり、妻が初めて病院に来てから3日目の朝、私が出直して病院に来た翌日の朝)、突っ伏して寝ていた私が目覚めると、陣痛はすでにかなり強くなってきていました。妻は「あのときはバナナが効いた」と、今でもときどき言っています。陣痛の最中にバナナを少しでも食べたことで、体力維持・回復に役立ったのかもしれません。
そして分娩室に移り、それからは本当にあっという間でした。よくある立ち会い出産の風景のように、私は妻の頭側に立ち、妻の呼吸に合わせつつ妻を応援している間に生まれました。
「頭が出ている」なんていう場面を直接見たのかどうか、もうよく憶えていません。ヒッヒッフーとか、フーウン、フーウンとか、ハッハッハッハッツとか、指示に合わせて呼吸を一緒にやるのが精一杯。
会陰切開のための、園芸用剪定ばさみのようなゴツいハサミを見たような気がしますし、ヂョキンという音まで聞こえたような気もしますが、記憶違いかも……。本当に、そのときの記憶はあいまいです。
子どもがなんとか生まれたら、チューブを挿入して羊水を吸引し、別室で体重を測って。私が赤ん坊のそんな様子を見ているうちに、分娩室のドアを閉められてしまいました。
その後は会陰切開部の縫合や胎盤娩出などのグロい場面が続くからなのでしょう。でも私としては、生まれた子どもよりも、それだけ長時間の、初めての出産を乗り切った妻が大丈夫なのかどうかの方が気になったことを、よく憶えています。
正直、生まれた赤ん坊がかわいいとか、奥さんありがとうとか、そういう気持ちは特にわきませんでしたね。一連のできごとが怒濤のように続いていきますから。
ようやく終わってほっと一息、という気持ちが一番。
これから大変だぞという気持ちもあったと思います。
長男はその後、感染症の疑いで産後2日目から小児科に入院。退院までの1週間、私が母乳運び役をやりました。
退院後は夫婦2人で慣れない育児。妻はもちろんですが私もピリピリしていて、ある程度慣れたころに、私自身も軽い「産後うつ」みたいな状態になったことを憶えています。
「感動」とか「かわいい赤ちゃん」とか、そんな言葉では片付けられないのが、現実のお産です。