フリーランス兼業主夫日記

フリーランス、プラスなりゆきで兼業主夫的生活になって25年超え。生活や子育ての中でブログネタを探しています。記事の内容はその時点の思いつき。現在は考え方が違っているかもしれません。

多感な時期に古典に触れるということ。

 

急に暖かく、春めいてきました。

今日は1日好天の、初夏のような日差し。

 

こんな春の日に、いつも思い出す詩の一節があります。

 

したたり止まぬ日のひかり

うつうつまはる水ぐるま

 

たぶん中学の国語で出てきたのでしょう。今でもよく憶えています。

 

あふれるような、まぶたを閉じても染みこんでくるような春の日差し。

田んぼの中の水路かどうか、水車がのどかに音を立てて回っている。

しかし、そんな春の日も、決して明るくうきうきした気持ちというわけではない。

 

うつうつまわる水車。

 

ごっとん、ごっとんと低い音でゆっくり回る水車が物憂げで、重苦しく聞こえる。

春の日差しはこんなにも明るいのに、というよりもむしろ周囲が明るい春の風景であればあるほど、逆に気分は沈んでいく。

そんなイメージを持つのです。

 

続きを憶えていなかったので調べてみると。

 

「寂しき春

 

したたり止まぬ日のひかり

うつうつまはる水ぐるま

あをぞらに

越後の山も見ゆるぞ

さびしいぞ

 

一日いちにちもの言はず

野にいでてあゆめば

菜種のはなは波をつくりて

いまははや

しんにさびしいぞ」

 

……やっぱり寂しい。

中二病的な中学生に、ある意味ぴったりじゃないでしょうか?

 

中学校に入学したとき、最初の国語の授業で島﨑藤村の「千曲川旅情の歌」を暗記させられました。

 

小諸なる古城のほとり

雲白く遊子悲しむ

……

 

……やっぱりこれも悲しんでいる。早春の情景です。

この詩にあるように、ひとり濁り酒を飲んで寂しさをまぎらわせるのは、中学生には早いかもしれないけれど。

 

========

 

こういった文学、考えてみると中学・高校の授業でしか触れる機会がありませんでした。

そういう多感な時期の教育って、いろいろな分野への「入り口」を作る上で大切かもしれないなと、改めて思いました。

 

「入り口」さえ作っておけば、後からいくらでも、その入り口をたよりに入っていくことができる。

 

そういえば昔、こんな文章を読んだなあ。

そういえば昔、こんな観察をしたなあ。

そういえば昔、こんな工作をしたなあ。

そういえば昔、こんな運動をしたなあ。

 

昔に作られたそんなきっかけが、もしかしたら何十年も経ってから生きてくるかもしれない。

そんなことを最近思います。

 

「興味を持たせる教育」「嫌いにさせない教育」って、大切かもしれない。

 

それにしても、そんな感受性が豊かな時期は、人生の中であまりにも短い。

 

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あちこちで、オオイヌノフグリが綺麗に咲いています。