フリーランス兼業主夫日記

フリーランス、なりゆきで兼業主夫になって20年以上。生活や子育ての中でブログネタを探しています。

「統計学的な正しさ」と、1回限りの自分の人生。

 

先日、こんなツイートをみかけました。

 

 これを読んで思ったこと。

 

科学研究では、できるだけ条件を揃えた2つの集団に対して何かを行った場合と行わなかった場合の結果を、統計学的検定によって比較します。

片方には新薬候補。もう片方にはプラセボのように。

 

合理的に考えれば、集団の中で効果があると判定された薬や治療の方が、自分自身で効果が得られる確率も高いのは当然です。

 

しかし、「科学的に証明された治療法はもうありません」と言われたら?

 

「100万人に効かなくても、自分にだけは効く治療があるのではないか」と考える人がいたっておかしくありません。

当然、そんな治療法は科学的証明などできるはずはありません。でも患者本人にとっては、繰り返し可能な人々が集まった集団の中での有効率ではなく、とにかく「自分1人が治ればいい」んです。

 

公衆衛生、教育、社会福祉その他の政策決定では、集団全体にとってどれだけメリットがあるかという観点が必要です。できるだけ多くの人間にとって有益であるように。

 

でも、個人はあくまで個人。繰り返し可能ではありません。繰り返し可能でないことがらに関する意思決定を、どれだけ統計にゆだねることができるのだろう、と考えます。

 

個人の一回性に対して、科学はどれほど説得力を持つのだろう。

 

まあそれ以前に、がん医療について言えば、医療側が科学的合理性の側に寄りすぎているために、患者のもつ非合理性を「ありえないもの、正しくないもの」として切って捨てるようなことがなければいいなと思います。

 

何を書きたいのかよくわからなくなってしまったので、今回はこの程度にしておきます。

 

f:id:NShufu:20170707170906j:plain