フリーランス兼業主夫日記

フリーランス、プラスなりゆきで兼業主夫的生活になって25年超え。生活や子育ての中でブログネタを探しています。記事の内容はその時点の思いつき。現在は考え方が違っているかもしれません。

「トーンポリシング」(tone policing)という言葉。どんな意味だろう?

 

今朝からツイッターで「トーンポリシング」という言葉をチラホラ見かけるようになりました。ほとんど見たことがない言葉だったので,調べてみました。

どうやら,熊本市議会に赤ちゃん同伴で出席しようとした議員の一件に関することのようです。

 

トーンポリシングとは?

 

検索した先を流し読みしてみると,どうやら

Tone(口調,話し方)をpolicing(policeする="警察する"=批判する?)

ということらしい。

 

例えば,感情的になりながら何かを主張している人に対して,主張の内容そのものに対してではなく「その言い方はまずいでしょう」のように指摘すること。

 

怒りにはそれなりの理由があるのだろうと思う。

 

個人やグループが何に対して,どうして怒りを持つか,感情的になるかは,それぞれ。

そうなる理由や事情があってのことなのでしょう。私ならまずそう思います。

 

ただ,それで主張をわかってもらいやすくなるかというと?

 

でもそうやって感情的に主張することで,主張が通りやすくなるでしょうか?

日常的場面では,私はそうは思いません。

 

コミュニケーションにおいて,言葉によって伝わる割合は意識されているほど高くはないでしょう。かなりの割合が,ノンバーバルな,言葉によらない,表情・口調・身振り手振りなどのコミュニケーションによってなされる。

 

相手が怒っていると,内容にかかわらず「怒っている」というメッセージが強くなり,内容ではなく怒っていることそのものに注意が向くのは自然なことでしょう。なので,「怒りをとりあえず静める」,「とにかくその場をやりすごす」など,主張内容とは違った方向に話が進む可能性がある。

 

「怒った方が負け」といった言葉も,なにかの文脈で聞いたことがあります。

怒っているだけで,まず「この人一体なにをそんなに怒ってるんだ?」という「表面」だけが注目され,内容がいくら正当,妥当なものであっても,割り引かれて受け取られるのがオチでしょう。

 

子供相手の場合でも,言い聞かせるためには感情的に「怒る」より冷静に「叱る」べきだとよく言われます。

 

感情的になるにはそれだけの理由があるのだろうなと慮りつつ,「でもそれじゃあ要求は通りにくそうだよなあ。もっといい方法,実利を取ることができる戦略を考えればいいのに」と,私なら考えると思います。たぶん面と向かっては言いませんけど。

こう考えること自体が,「トーン・ポリシング」の1つになってしまうのでしょうけどね。

 

ただし,議論のすり替えはダメ。

 

ただし,怒っている相手に対して,口調を批判することにより,議論の本質から話を意図的に逸らそうとしたり,それによって自分が優位に立とうとする,そんな意味での「トーンポリシング」はどうでしょう?(この意味で使われることが多いのかもしれません)

理不尽なクレーマーと思う相手に対してだったら,やることもあるかもしれませんが……ちゃんとした話し合いの場では,すべきではないでしょうね。

 

では,「怒る」以外に手段がない場合は?

 

では,他に主張手段がない,例えば何かのマイノリティに属する人たちが,最後の手段として社会に対して「実力行使」に出たような場合はどうなのか。何かを強行して社会の注目を集めるようなことは,単なるパフォーマンスとして非難されるべきなのか。

 

注目を集めるのは確かでしょう。その結果,その問題の認知度や問題意識を高めることにもつながるかもしれません。

 

でもそれによって広く賛同者が得られるのかどうか。無用な対立を煽るだけにはならないのか。

私にはわかりません。

 

こういう本でも読んでみようかな。

 

対話する社会へ (岩波新書)

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