自分の子どもにこんなことを話しておきたいと、書きながら考えをまとめるシリーズ。
今回は「マジメはダサくない」。
何というか、特に子どもの頃や若いころ、場合によってはそういう風潮に遭遇することがあると思うんですよ。
マジメにやっているのがカッコ悪い、みたいな。
勉強してると「ガリ勉」とからかわれるみたいなことは、大昔からありました。
そういうことを大声で言うヤツがクラスの中で目立つとそうなるんでしょうけど。
今なら「スクールカースト上位」ということになるのかな?
でも、マジメにやることは、カッコ悪くもなんともない。
好きなこと、やりたいこと、大切だと思うこと、必要だと思うことを一生懸命やるのは、全然カッコ悪くない。
もしからかうようなヤカラがいたら、聞き流してしまえばいい。
これからの世の中、遊んでばかりのその日暮らしで気楽に生きていける時代じゃない。
ただし、じゃあアリは偉くてキリギリスはバカかというと、一概にそうとも思いません。
キリギリスがもし一生懸命に音楽を奏でていて、仕事に疲れたアリがそれで癒やされるのなら、それでいい。
どちらも「ちゃんと」、自分の本分を果たしているなら、それでいいじゃないかと思います。
お笑い芸人のボケ役が嫌い。
テレビはあまり見ませんが、私はお笑い芸人のボケ役の人が嫌いです。
テレビという場で求められるのが、ボケる=ずらすことだからでしょう。バラエティならそれでいいんですが、でもそれがふさわしいと思えない番組であっても、ボケ役の人はわざとズラしたコメントをして笑いを取ろうとします。
まあ、芸人さんはそれが求められていることであり、存在意義なのでしょうから、仕方ないかもしれません。
しかし芸人さんでない自分たちが、もしそうやって状況をズラして、ナナメに見て笑うことに慣れてしまったら? 自分たちには全く何も残りません。その間に、相手はどんどん先に進んでいくだけ。
私は読んでいませんが、『ナナメの夕暮れ』を出版したオードリーの若林正恭さんが、出版にあわせたインタビューで確かそのようなことを言っていました。
「もういい年だし、ナナメに見て笑っている場合じゃないんじゃないか」と。
特に若いときは、はすに構えて周囲を見たくなるもの。
人のことを「意識高い系」なんて呼んでからかったり。
もちろん、カッコをつけただけ、形だけのものではダメでしょうが、周囲が何と言おうと、真剣に考え、真剣にやったことは、きっと後になって自分に返ってくると思います。