大学1年の長女から、中島敦の『文字禍』という短編が面白いと勧められました。
娘が卒業した高校で読書会があり、長女もOBとして参加するために、課題図書として読んだんです。
中島敦というと中国を舞台にした漢文調のお話かと思いましたが、予想に反して古代アッシリアが舞台。ほんの数ページの短い話で、「言葉が先か物自体が先か」という、存在論のような哲学的な内容。それはそれで面白かったんですが、読み終わった後で、同じ短編集に収載されていた『山月記』に目が行きました。
『山月記』と言えば、高校の教科書にも載っている、誰でも知っている作品です。
「臆病な自尊心」、「尊大な羞恥心」という決まり文句がすぐに頭に浮かびます。
でも、何の気なしに読み返してみたら、結構グサグサと刺さる内容だったんですよ。
発表後50年以上経っていますので著作権が切れていますが、引用してみます。
「己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった」
「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。」
そうして、心の中の猛獣たる尊大な羞恥心によって、外形までも変わってしまったと。
自分は一体どうだっただろうか?
考え込んでしまいます。
機会がなければ改めて読むことも少ない、有名な作品。
やはり考えさせられるものがあります。
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