昼食や夕食の準備をしているときに、テレビをつけます。
今は高校野球のシーズン。
いろいろな意見のある高校野球。私も野球自体はスポーツの中で嫌いな部類ですが、真っ黒に日焼けした高校生が甲子園球場で力一杯プレーする姿そのものは、やはりいいものと思わざるを得ません。
そんな中、今日ツイッターでちらっと「グリット」という単語をみて思い出しました。
GRIT。「やり抜く力」というように訳され、しばらく前にはこの4文字が目立つ本が書店に平積みされてブームになっていました。
英和辞典で調べてみると、grit=「砂、砂利」といった意味のほか「根性、気骨、勇気」といった意味が書かれています。
やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける
- 作者: アンジェラ・ダックワース,神崎朗子
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/09/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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検索したところ、ちょうどダイヤモンド社と日経BP社の記事もヒット(出版に合わせたPRか)。
「知識や才能、IQよりも、「やり抜く力」=GRITのある人の方が成功する」
……しかし、なんだかどこかで聞いたような話ではないでしょうか。
根性論への回帰?
アメリカ生まれのGRITという考え方。日本では、一歩間違えると昔に逆戻りしてしまいそうです。ついこの間まで(今でも?)日本社会は根性論が大好きでしたから。
根性でなんとかなる、
できないのは気合いが足りないからだ、みたいに。
B29だって竹槍で落とせるつもりでいたんですから。
根性論との違いは?
では、違いはどこにあるのか。
1つは、自分がやりたいと思うことに好きなだけ取り組んでいる状態かどうかではないでしょうか。
日本の場合、言いたいことが言えなかったり同調圧力が強すぎたりで、本人の意思に反する場合が往々にしてあるのではないかと想像します。みずから周囲に過剰に適応してしまうこともあるでしょう。
強制されてやらされて、結果的に何の結果につながったとしても、それがどれほどのものを本人に残すでしょうか。
そしてもう1つは、目標達成のための合理的方法まで考えるかどうか。
日本でいう根性論、精神論では、「とにかくやれ」のようにゴールだけ設定されて、そこに向かう過程が軽視されがち。力業で一生懸命やる姿勢の方が重視され、合理性、効率性、省力化といったことは顧みられません。
上杉鷹山の「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」も、この言葉だけをみれば「ではそのためにどうすればよいか」という視点が入っていません。
それに、努力の方向が違えばどんなにやり抜いたところで結果はついてきません。
昔のスポ根マンガといえば、今は全く行われなくなったウサギ跳びが定番だったんですよ。
「体育会系」とGRIT。
いつの時代も「体育会系」が就職に有利なのは、「頑張ってきた」姿勢と経験が評価されるからでしょう。「体育会系」と表現すれば皮肉っぽくなりますが、アメリカ由来のGRITと表現すれば有難く思えてしまうのが困ったもの。
文化系でも、吹奏楽にしろ高校生クイズにしろ百人一首にしろ各種科学オリンピックにしろロボコンにしろeスポーツにしろマンガ・アニメ・イラストにしろ、好きな分野で「やり抜く」ことが評価されてほしいし、誰からも強制されることなく「自分自身がやりたいこと」をやり抜くことができるようであればいいなと改めて思いました。