現在の生活科では授業内容がいろいろ変わったのかもしれませんが、大昔、小学校に入学したときの最初の理科の内容は「アサガオの観察」が定番でした。
種を播いて土をかけ、毎日水やりをして芽が出るのを待つわけです。
(アサガオの種は皮が硬いので、本当は種をコンクリートなどでゴリゴリこすって皮に傷をつけ,一晩水に浸してから播いた方が発芽しやすくなります)
何日か経つと、土がもこっと盛り上がり、その下からくしゃくしゃに丸めたティッシュのような双葉が持ち上がってきます。それが開いて、絵に描いたような特徴的な双葉になります。(最近は「ふたば」ではなく、ちゃんと「子葉」と呼ぶんでしょうね)
そんな様子を、毎日よく観察していたように思います。
その後何十年も経った現在と比べると、当時は時間の流れがはるかにゆっくりしていて、「土」,「地面」がもっと身近でした。
単に、今よりずっと背が低くて地面が目の前にあり、遠くまで見通せなかったせいかもしれません。わずか数十cm四方の場所が、数m四方、あるいはもっと広大な場所に感じられたように思います。
時間の長さだけでなく距離の感覚も、大人と子どもでは随分違うのかもしれません。
子どもの頃「世界の果て」のように思っていた場所が、改めて考えると自宅からわずか数百mしかなかったなんてこともありますからね。
子どもの頃に読んだ『ミリ人間のぼうけん』という物語が,ちょうどそんなお話でした。よくありそうな,「博士がはつめいした薬をまちがって飲んだ子どもが小さな体になり,巨大なむしやカエルのいるせかいをぼうけんする」話だったように記憶しています。
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庭の空いている場所にパラパラと播いたマリーゴールドが芽を出し、見慣れたふたばが開き、本葉が出てきたのを見て,そんな昔をちょっと思い出しました。
(ところで,今の生活科・理科では本葉と言わず,ただ「葉」と呼ぶんじゃなかったかな)
地面にじか播きしましたが、適当にあちこちに植え替えようと思っています。
子育てと同じく、時期を逃さないように作業しなければ。
自分の時間の流れと子どもや植物の時間の流れは、けっこう違いますから。
ダラダラ過ごしている私にとって1ヵ月などあっという間ですが、テキは1週間経つとずいぶん様子が違ってしまいます。