先日はこんな記事を読みました。
knockout_(id:knockout_kazu)さんは日頃のお子さんの観察、フォローがすばらしく、そしてお子さん方も大変なポテンシャルがありそうなご家族なんですが、上記ブログは今後の教育状況の変化に興味のある方は必読です。
そんな記事の中で、私の感覚にピピッと来たのが、今日の記事のタイトルにした言葉。
「用途の限定されないおもちゃこそ奥深く、よいおもちゃ」。
いや単に私の趣味なんですけどね。
それで思い出したことをちょっと書いてみます。
上記記事の本筋からは完全に外れてしまいますが。
私、遊び方が限定されているおもちゃって嫌いなんです。
「こうやって遊べ!」と押しつけられているようでイヤ。性格が曲がってるので。
(キャラクターモノなど論外)
作った側の思惑に乗せられるのがつまらない。
特に子供は、どんなものでも「見立て」で自由に空想し、楽しむものです。
子供、特に乳幼児は、身の回りにあるどんなものでも遊びます。遊べます。
別に、おもちゃじゃなくていいんです。
「おもちゃ」と呼ばれる「遊び専用のもの」を特別に用意するのは、「遊ぶためにどんなことをしてもいいもの」「他に使う場面がない、遊び専用にしていいもの」を、「遊ぶためにまとまった個数やバリエーションで」用意するために過ぎません。
別に、調味料の瓶で遊んだっていいじゃないですか。(長男が1歳数ヵ月の頃)
洗濯ばさみだって遊べます。これは長男が3、4歳の頃かな。
なので、家で活躍したおもちゃは、積み木とかブロックとか、遊び方が決まっていないものばかりでした。
(スーパーせんせいも活躍しました。現在もときどき使ってます)
これも長男が2歳前の頃だと思います。
(2つの積み木セットが混ざっていますが、古い方はなんと私自身が子供のころ遊んでいたもの)
そういうおもちゃばかりだと、家の中は大変なことになります。でもしょうがない。子供は散らかして遊ぶのが仕事なので。
もらいもののおもちゃが多いですが、活躍したのは「好きなように遊べるおもちゃ」でした。
私自身、「おもちゃを何も使わずに、子供とどうやって遊ぶか」なんてことを楽しんだりしていました。
子供も大好きだったのが、指でてくてく歩き回る遊び。
てくてく、てくてく。
あれっ?これはなんだろう?
こんにちは。
うーん、こっちはどうなってるんだろう?
わーっ(逃げる)
…なんて言いながら指でてくてく子供相手にやっていると、子供は大喜びでした。
久しぶりに昔のアルバムを引っ張り出しましたが、みんなかわいかったなあ……