タイトルの件、一体何のことかわかりませんよね。
まあ、お時間のある方はちょっとおつきあいください。
冬休みの昼ご飯。
高校生の末っ子が冬休みに突入。とは言うものの部活はあるので、いつ帰ってくるのかわからないと思いながらも昼食を用意しました。
定番のナポリタン。2人分を作るのがどうもうまくいきません。
ナポリタンなら作り置きにしてスパゲティがのびたぐらいがちょうどいいなと思ったら、そういう日に限って息子が早く帰って来ました。
昼ご飯は、このナポリタンと昨晩のクリスマスケーキの残りです。
(家族が3人になってしまったので、ホールのケーキを1回では食べきれません。1人あたり120°になってしまいますから)
スパゲティとケーキをぱくぱく食べて、歯磨きもして(息子はきちょうめんなので毎食後にきっちり歯磨きをします)、時計をみたら約40分。
40分で食事と歯磨き。
別に特別なことではないと思うでしょう? でも違うんです。特別なんです。
今までは、正確に時計を見ていたわけではありませんが、1時間半とか2時間とかかかっていましたから。
ダラダラ食べ続けているわけではありませんが、食べ終わってから「さあ次に何を食べよう……?」と考えている様子のまま、時間が止まってしまうことが多かったようです。そのうち新聞を読み始めることもありましたが、そういったことが区切りがついて歯磨きをするまでにもう2時間経っているとか。
休日の朝食もそうです。朝8時とか8時半に食事をして、いろいろしているうちに歯磨きをするのが11時なんていうこともザラでした(もうすぐ昼ご飯なのに!)。
もちろん、家でゆっくり、ダラダラ過ごすという部分は必要です。常に張り詰めて生活するわけにはいきません。
でも末っ子の場合は、そういうのともちょっと違うと思うんですよね。優先順位を決めて物事を片付けていくことが苦手、優柔不断のひどい状態のように思えます。ビュリダンのロバか。
ですから、40分で食事を終えて歯磨きまで完了というのは、末っ子の場合驚くべきことなんです。「時間を考えて行動する」という普通のことができるようになってきたんだなあと、感慨深いものがありました。
でもちょっと寂しさも。
「普通に」時間を考えて行動できるようになったことが、嬉しいのは確かです。
でも私は、「普通」というか「平均的」なことがいいとは決して思いません。
「平均的な、平凡なもの」には価値がありませんから。
ウチの子、特に長男と末っ子は、得意不得意の差が激しいデコボコのある子供です。
私は、とんがった部分を(伸ばすことまではできなくても)できるだけつぶさないように気をつけてきたつもりです。とんがった部分をつぶすのは簡単で、逆に新たにとんがった部分を作らせようとしても多分できませんから。
「普通」のことができるようになってきた一方で、「とんがった」個性がなくなっていくとしたら、それはまず第一に寂しい。
社会生活を送る上で最低限の「普通」はできるようにしておく一方で、とんがった個性は、いつまでも自分の中で隠し持っていてほしい。とんがった能力は、自分の武器として密かに研いでいってほしい。
そんなことを改めて思いました。
親って欲張りなものです。