今日はこんな記事が。
若いときは,経験を積み重ね,稼ぐ力も身につけるとき
若いうちは,少しのお金で印象深い経験ができます。
上記の記事を読んで,「そういえば,いままで食べた中で「これはうまい!」と思った食べ物って何だったかな…」と考えてみました。
真っ先に思い出したのが,大学1年のとき大学そばのミニストップで食べたパストラミサンド。昔はそれぞれの店で作って売られていました。あれはうまかった(というか,「うまかった」という35年前の記憶が残ってる)。ほんのささいな贅沢です。
あれから35年。
在宅フリーランスの兼業主夫という引きこもり生活を長く続けてきたおかげで,何を食べても特にうまいと思えず,「ふーん」で済ませてしまうようになってしまいました。
でもそんな私でさえ,20代はわざわざ遠出までして飲み歩いたりしたものです。そのおかげで結婚相手も見つけられたし,費用と時間をかけて転退職の準備をしたおかげで,現在があります。
若いときの貯金額自慢はナンセンス。
上記の記事の中で,40代平均444万円の貯金が「こんなにもたくさんのお金」なのかどうかには,教育費や老後のことも考えると異論もあるでしょうが,私も,例えば「20代で預金残高1000万円」みたいなことはナンセンスだと思っています。
そのお金を他にまわせば,将来にわたってもっと稼げるかもしれない。
そのお金を有効に使えば,得がたい経験ができるかもしれない。
それをせずに,貯めているということですから。
もちろん,全部じゃなくていいんです。ギャンブルをする必要はありません。
「普通」であることは無理。
上記の記事では「お金は傾斜をかけて使うべき」と書かれています。
私も賛成です。
使い道には絶対にメリハリが必要。
欲求には限りがありません。どんなことにもまんべんなく使うことは不可能。
そして,「普通」であることにも意味はないと思っています。
Aさんの普通とBさんの普通とCさんの普通は,違います。
それなのに,AさんとBさんとCさんと……の最大公約数……ではなく最小公倍数の普通を目指すのは絶対無理。
そんな「現実にどこにもない普通」を追い求めてもしょうがありませんし,第一,そんなの面白くありません。
私は,必要ないものには1円だって使いたくないと思っていますし,必要なことにはいくらでもお金をかけるつもりでもいます。……いや,「いくらでも」は言い過ぎか。
今の私について言えば,着るものにも食べるものにも全く執着はありません。服は,はたからみて不快感がなければ十分だし,食事だって,栄養に問題がなくてそこそこの量があれば十分。
では何にお金を使っているのか?
今は,子どもです。
いろいろなところに行って,いろいろな経験をして,いろいろな人に会うこと。
大学生が2人いますから,その学費と仕送りが大きな支出になっています。
この生活があと数年は続く予定。
仕送りは最低限の生活ができる額を送っていますから,子どもには「生活費をまかなうためのアルバイトなら,する必要はない」と言っています。
ただし,
- 将来の仕事に関係のあるアルバイトなら,やってみた方がいい。
- 時間とお金が使えるうちに,いろいろなところに行き,いろいろな経験をし,いろいろなものを見,いろいろな本を読み,いろいろな人に会い,いろいろな話を聞け。
と言っています。
実行するかどうかは子ども次第ですが。