新年のせいか,えらく大仰なタイトルですが笑。
さすがに50歳も過ぎてくると,ときどき考えるんです。
オレって何のために生きてるんだろう?ってね。
毎日,仕事をして金を稼ぎ,雑用を片付け,時間つぶしをして。
さして楽しいことがあるわけでもありません。
もちろん子どもの成長が楽しみなのは確かです。でもそれは,「生きる目的」とは違う気がします。
何のためなんでしょうね?
ぼんやり考えているうちに,思いついたことがあります。
生物学者のドーキンスは,「生物は遺伝子の乗り物に過ぎない」と言っています。
遺伝子は,最も効率的に自分のコピーを残すものが存続していく。個体としての生物は,遺伝子が自分のコピーを残すための乗り物・手段に過ぎない,というわけです。
個体にとっては,遺伝子を次の世代に伝えることそのものが生きる目的なんだと言われれば,そうかもしれないと思います。
人間も動物であり生物ですから,「生きる」目的は「遺伝子のコピーを作ること」,つまり次の世代を作ることなんじゃないか。
……
このあたりで,指摘されてしまいそうです。
「それって,必ず子どもを作れってこと? いろいろな理由で,できない・したくない人もいるでしょ!」
もちろんその通りです。
それに人間は,生物とはいうものの,ほかの生物とは多分ちょっと違います。
「人間は本能が壊れた動物だ」と言ったのは岸田秀ですね。
「DNAという情報」を次の世代に残さなくても,人間である我々は「それ以外の情報」を後の世代に残せばいいんじゃないかと,私は思っています。
ドーキンスはそんな「文化的遺伝子」を「ミーム」と呼んでいます。
「何かを残すことができた」と思えれば,自分自身,死ぬときに納得できるんじゃないか。
生物としての情報(DNA)を次の世代に伝えるか,
そうでなければ人間として,DNA以外の「情報」を次の世代に伝えるか,
そのどちらかができればいいんじゃないかと,私は考えています。
私は,とりあえず生物としての義務を果たしました。
動物ではない人間として,さらにプラスアルファの何か残すことができるかどうかは,わかりません。