どこかで,「50代のオッサンが○○みたいに言ってて…」という若い女性の書き込みをみました。
どきっ。
50代という自覚がまったくない,たぶん十分にオッサンである自分。
私の時計って,会社を辞めたころに止まっちゃった感じなんですよ。
なので,気持ちはいつまで経っても,極端なことを言えば30そこそこのまま。もしかしたら,自分で気付かずに,かなり痛々しいこともしているのかもしれません。
なんでそんなことになっているんでしょうか?
私の考えは,こうです。
あのまま会社を辞めずにいたら,私は普通にサラリーマンとして組織の中で生きていったでしょう。社内の同僚や上司,部下,取引先のお客様や業者さん,下請け先とのやりとりを繰り返す中で,「年齢相応」,その時々の「立場・肩書相応」の振る舞いが求められ,それを身につけていったに違いありません。
そうやって,ヒラ社員から主任,課長,……運がよければその上まで昇進したかもしれません。
いずれにしろ,きっと今頃は,そんなさまざまな経験を経て,50歳過ぎの人間に求められる振る舞いを身につけ,逆にその結果として,年齢相応のオッサンにもなっていたのだろうと思います。
ところが。
私の場合,30歳前に在宅フリーランスになってしまい組織から離れた結果,「社会的年齢」を決めたり「年齢相応の適切な振る舞い」が求められる外的要素が何もなくなってしまいました。取引先はずっと同じで,ごくごく限られた人と電話やメールで数日に1回短いやりとりをするだけ。他人と接することはあまりなく,引きこもりのように仕事や家事・育児だけをやってきましたから。
そんな理由で,時計が止まったような気持ちになってしまっているのではないかと。
もちろん,子どもが生まれてどんどん大きくなったので,生活環境の変化はありました。でも,兼業主夫の毎日というのは,日々の生活を必死になってこなしていく,終わりなき日常の繰り返しです。毎日の生活に手一杯で,客観的時間が流れても,それに伴う「自分が成長した」感があまり感じられないまま今に至ってしまったということも,時計が止まってしまったように感じる理由なのかもしれません。
もちろん,客観的時間の流れとともに体は年齢相応に衰えてきますから,年齢を自覚することはあります。でもというか,だから余計に,気持ちと見た目が一致しないような,どうにも奇妙な気持ちです。
結局,自分は自分ですから,そんなことどうでもいいんですけどね。
変にオッサンくさくなるよりマシかもしれないし,単に自意識過剰なだけなのでしょう。
でも組織の中でそれなりの経験を積んできた「年齢相応」の人たちと,ついついいろいろな面を比べてしまうことは,やっぱりあります。