3.11、東日本大震災。
私の住む地域は揺れがそれほど大きくなく、同じ市内でも地盤の悪い場所ではかなりの被害が出ましたが、私の家の周囲は、体感で震度5強~5弱ぐらいだったのではないかと思います。
それでも、木造軸組工法(在来工法)のわが家はそれまで聞いたこともないようなものすごい音を発しながら揺れ、事の重大さがわかりました。当時の家の歪みは、壁のクロスのしわや石膏ボードのひび割れとして、今もわずかに残っています。
家の中は、物が少し散乱した程度で被害はありませんでした。
それで、末っ子が通っていた小学校に様子を見に行くことにしたんです。ちょうど下校時刻が近づいていました。
学校に向かう通学路を歩いていると、外は、瓦が落ちている家や石垣が崩れている箇所が数ヵ所あった程度。住宅地なので、道路や町の中にまだ大きな混乱はありませんでした(その後しばらくして大渋滞になりましたが)。
小学校では、子供たちが上履きのまま校庭に集められ、先生方が対応について相談していました。
当時、その小学校では災害時の下校・保護者引き渡し方法がはっきり決められていなかったんです。
私は、子どもらを引率して帰るのがいいだろうと考え、先生に断った上で、末っ子が入っている登校班の子ども全員を引き連れて帰り、子どもをそれぞれの自宅に送っていきました。
しかし後から考えると、これは非常に問題だったと思っています。
現在では、災害時には家よりも学校の方がはるかに安全と考えられています。
しかも、自分の子どもだけでなく近所の子どもまで連れて帰ってきてしまった。これが大きな問題です。(学校側でも、災害時に保護者自身が迎えに来ていない子どもを返すべきか学校に留めるべきか、手続が定まっていない様子でした。)しかし、家よりも学校の方が安全であることを考えると、たとえ近所の子どもであっても安易に引き受けるべきではありません。
その後、私の住む自治体の公立小学校では、震度5弱以上の地震が発生した場合、親が子どもを引き取りに行くというルールが作られました。引き取り訓練もときどき行われています。
子どもが通っていた小中学校、高校は直接の被害を受けませんでしたが、小学校のPTA関係でもいろいろなことがありました。
PTA役員間で通学路の点検をすべきかどうか話し合ったこと。
計画停電中の校舎内で学校側との会議を行ったこと。
計画停電で信号が消えてしまった大通りで、下校する児童を先生方と協力して横断させたこと。
4月の歓送迎会の開催を見合わせてはどうかという学校側の提案に対して、むやみに何でも自粛すべきではないと例年通り開催したこと。
この時期は、失敗の記憶とともに当時のことを思い出します。