今朝はこんなツイートを目にしました。
子育てするまでは、2歳児に洋服着て、ご飯食べて、お風呂入って、寝てもらうことが「こんなに大変」だとは想像もできなかった。子供いても育児それほどしてない男性だと、その大変さ知らないだろなと。その大変さがネットなど通じて広がるのはいいことだなと。まずは知らないと始まらないんで。
— とくさん (@nori76) 2018年1月28日
ツイートの意図とは全く関係ありませんが,これを読んで思ったことを。
思い出せない。
思い出せないんです。
あんなに忙しかったのに,遠い昔すぎて,忙しかったとか大変だったとかいう感覚がわからなくなっている。
保育園に迎えに行って,渋る息子をなだめすかしてなんとか車に乗せて家に帰って。
とりあえず何か食べさせつつ時間を稼ぎ、その間に夕食を作って。
出来上がったら子供に食べさせて、自分もとにかくさっさと食べて。(このあたり、本当に大変だったはずなのに本当に憶えていない)
一緒に風呂に入って。洗濯物をたたんだり保育園の荷物を入れ替え・補充したり。(このあたりも記憶がない)
歯を磨いて読み聞かせをして添い寝して。一緒に寝落ちしたり,寝たと思ったら仕事から帰って来た妻に子どもが起きてがっかりしたり。
そんな大変で忙しい毎日を繰り返したはずなのに,「~だったはず」とか「~だったと思う」とか,薄い,もやのかかったような,記憶とは呼べないようなものしか残っていない。
楽しかったことも。
大変だったことだけじゃありません。
楽しかったことも,なんだかよく思い出せないんです。
長男と長女に挟まれてぎゅうぎゅう身動きも取れずに寝たことや,子どもを私のおなかに乗せて寝かしつけていたこと。それは憶えています。
でも,ほかにも楽しいことはたくさんあったはず。
ほんのささいな子どものしぐさや言葉で大笑いしたことも、たくさんあったはず。
でもみんな忘れてしまったみたい。
頭の中を一生懸命探してようやく,その痕跡がほんのいくつか,ひっかかるかどうか。
さよならだけが人生さ。
最近,過去の「思い出」にこだわることってどうなのかなあと思うことがあります。
形あるモノについて,特にそう思います。
そういったものを大切にとっておいても,一体何になるんだろう?
過去も未来も関係ない,今を充実させて過ごすこと,それしかないんじゃないかと、変に悟った気持ちになってみたり。
花に嵐のたとえもあるさ,さよならだけが人生だ。
でも,昔のアルバムを見ると、当時のあれこれが思い出されて、そしてそんなあれこれを写真の中でしか思い出せない自分にがっかりして、泣きそうです。