睡眠障害かと疑うほど睡眠時間が不規則で長い息子ですが、今朝は朝早く、なんと8時に起きました。おかげで朝食・昼食の準備や片付けもスムーズに進み、外出することもできました。
上の記事で書いた通り、私は「子どもの食事の場には一緒に居たい」と思っています。
高校生にもなると、子どもはそんなときしか自分の部屋から出てきませんから。ましてウチの子、特に末っ子はそうなんです。
別に、対面で一緒に食事をとりたいというわけではありません。さりげなく、同じ室内で時間を過ごしたいと思っています。
世間話をしたり、聞きたいことを尋ねる場にしたり。そんな機会はそういうときしかありませんから。(もちろん、必要な用事などは向こうから言ってきてくれます)
そんな中で、子どもがにこっと、いやニヤッとした顔でも見せてくれれば、ものすごくトクをした気分になります。なんと低レベルの願望だか。
もちろん、休日に昼食を置いて外出してしまうことも可能です。
でも、子どもを「どうでもいい理由」で「放置」したくないんですよ。
「子どものことを気にかけているよ」のサイン。
それは、食事の場にいることが、「子どものことを気にかけているよ」というサインになると思っているからです。
こうでもしないと、子どもが「オレは/私は放って置かれている。自分のことが第一で、子どもなんかどうでもいいと思っているんじゃないか?」と感じてしまう可能性があるんじゃないかと思うんです。
時間が自由にならないとか、予定が立てられないとか、遊びに出かけられないとか、私にとってはいろいろ不便がありますが、今は「気にかけているよ」サインを出すために、食事の場だけはと思っています。
押しつけがましいのは絶対ダメ。
もちろん、決して押しつけがましくならないように、注意しています。「お前のためにこうやっているんだ、我慢しているんだ」みたいなことがちょっとでも雰囲気に出てしまったら意味がありません。逆効果です。
8時だろうが11時だろうが13時だろうが、子どもが起きてきたらニコニコと「今日は早いねえ~快調じゃん!」「あー今起きてきたかっ!昼はどうするんだよーまあ用意するから食べなっ^^」「ようやく起きてきたね~寝過ぎじゃないの??^^」とでも言いながら食事を用意するようにしています。
手をかける、目をかける、気にかける。
子育てで「手をかける、目をかける、気にかける」という言葉をどこかで聞いたことがあります。(調べてみると「気にかける」ではなく「声をかける」が多いみたいですが)
小さい頃は実際に手を使って子育てをする。ある程度大きくなったら、手を出すのをぐっと我慢して目配りをする。もっと大きくなったら、自主性にまかせて気にかける程度にとどめる。そんな親の姿勢を表すことばだと思っていますが、その最終段階にさしかかっているウチの子育てです。
※ところで、「手をかける」を間違って「手にかける」なんて言ってしまうと大変な意味になっちゃいます。要注意です笑。
今日の昼ご飯は、やきそばでした。