フリーランス兼業主夫日記

フリーランス、なりゆきで兼業主夫になって20年以上。生活や子育てその他つらつら考えたことを。

ノーベル医学生理学賞に思う:多様性、「どうでもいいこと」、やる気・興味。

 

そこら中、ノーベル医学生理学賞の話題ばかりになっていますね。

晩ご飯を食べながら、高校生の息子といろいろな話をしました。

報道を聞いて思ったことを、とりとめもなく書いてみます。

 

受賞の業績は1990年代初め。

 

ノーベル財団の該当ページ

The 2016 Nobel Prize in Physiology or Medicine - Press Release

に挙げられている最初の文献は1992年。今から25年近く前の、今とは全く違う時代です。社会も大学内も、今よりもずっとのどかでした。良くも悪くも、いろんな無茶ができた時代だったように思います。

研究環境も今よりもずっと自由だったのではないでしょうか。研究資金はどうだったかわかりませんが、たぶん現在の方が、金額的にも、成果を求められるスパンにしても、厳しいのではないかと想像します。

それでは、25年後に評価される世界的な成果が、いま出ているんでしょうか…。

 

人がやらないことをやった結果。

 

大隅栄誉教授はたびたび、「人とは違うことをやりたかった」という意味のことをおっしゃっています。また、基礎研究の難しさにも言及しています。

成果につながるかどうかわからないことをやっていられる余裕が社会にあるかどうか。いわばそういう「多様性」を許容できるかどうかが、大げさなことを言えば「集団としての生存」にかかわってくるんじゃないだろうか、などと考えました。

均一な集団は、環境が変わると全滅しやすいものです。品種改良された作物などがいい例です。

生物は、多様性を維持することで、環境が変わっても種として生き延び、さらには進化してきました。

人間のさまざまな集団も、変わったことを考える人、変わったことをする人を許容できる集団の方が生き延びやすいんじゃないだろうか。人間という種にしても、人間が集まってできる様々な集団にしても。企業とか、ですね。

一見「どうでもいいこと」が、もしかしたら後になって大きな意味を持つかもしれない。それを容認するだけの度量があるかどうかが問われる気がします。

 

やる気・興味。

 

科学研究は、つきつめて言えば「やらなきゃ気が済まない」人がやるものじゃないかと思っています。というか、科学という人間の営みそのものが、「知的」という高尚なイメージとは違う、食欲などの本能的欲求と同じ種類の「知りたい」という根源的欲求につき動かされてのものではないかと思います。

そうでもないと、研究者の道は結構イバラの道でしょうしね(大隅先生も、仕事がない時期があったとか)。

 

ところで、研究者のみなさんは子どもの頃から好奇心旺盛なのだと思いますが、では逆に、子育ての場面で、好奇心ややる気を子どもに「後から」「外からの働きかけで」持たせることはできるんでしょうか。

 

好奇心ややる気を、外からの働きかけで持たせることはできる?

 

私は、もともと本人の中にない興味を全くのゼロから生み出すことはできないんじゃないかと思っています。できるのは、埋もれている興味や好奇心を発見したり、発見した興味ややる気をつぶさないことだけじゃないかと。

ですから、「無駄に思えること」や「変なこと」でもなんでも、子どもが興味を持ったことは何でもやらせた方がいいんじゃないかいうのが私の考えです。

まあ、興味や好奇心を誘導するために、「撒き餌」を家の中のあちこちに撒いたりすることもありますけどね。でも「何で釣れるか」「何にひっかかるか」は全然わかりません。

 

ところで、 息子がやった「どうでもいいこと」。

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2、3年前に作った謎のオブジェです。

進研ゼミのDMについてきた赤青のプラスチックシート(英単語や重要語句の暗記に使う、アレです)を折ったものです笑。