フリーランス兼業主夫日記

フリーランス、プラスなりゆきで兼業主夫的生活になって25年超え。生活や子育ての中でブログネタを探しています。記事の内容はその時点の思いつき。現在は考え方が違っているかもしれません。

PTAに関する諸問題(備忘録)。

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PTAのさまざまな問題について書くのは、本当に気が重い。

でも、かつてそこそこの地位にいたこともある身として、備忘録的に、思いついたことを順不同で列挙しておくことにします。

 

PTA活動は、となりの学校でさえいろいろな違いがあるというのが私の実感です。違う自治体や地域では、違いはもっと大きいのだろうと想像できます。

以下は、私の経験に基づいたものです。

 

  • PTAについて語るとき、「委員」「役員」が具体的にどういう立場を指しているのかがまちまちになるので注意が必要。
    毎年クラスの保護者の中の一部だけがPTA活動に参加する形式なら、その人たちが「委員」かもしれないが、全員が必ず何かの活動に参加するタイプのPTAの場合は、委員という言葉が意味をなさない。
    「役員」という言葉も、各委員会の委員長・副委員長クラスを指して使われていることもあれば、会長・副会長クラスを指して使われていることもある。
    このように、言葉の前提が違うと話が噛み合わなくなる。
  • PTAは、上記の記事にある通り、戦後のGHQの方針の1つとして教育の民主化を図るための社会教育団体として設立が推進された。管轄は自治体の教育委員会
  • PTA会長には、かつてはおそらく「地元の名士」がなることが多かった。地域の年配の方々には現在もそういう意識があり、従ってPTA会長は地域のあらゆる会議に呼ばれる。
  • PTAは、「学校の後援会」として、教育環境が十分でなかった時代に学校にさまざまな寄付を行ってきた歴史がある。
  • 文部科学省は、「地域に開かれた学校」を目指して学校と地域の交流を推進しており、地域に学校教育へのさまざまな協力も求めるようになってきている。
  • PTAには、学校と地域諸団体を仲介する役割も求められている。これには、校長・副校長クラスが2~3年に1回異動してしまうために地域との関係を作りにくいという背景も影響していると思う。
  • 学校とPTAが地域に協力を求める過程で、あるいは日常の地域活動の中で、PTAとPTA OBが接触するときに、PTA OBが現役のPTA活動に口を出すことがある。その結果、現役のPTAはそういったOBの方々、地域有力者の方々の顔色をうかがいながら活動することにな る。「PTAは学校の嫁」という言い方があるが、そういう意味では「PTAは地域の嫁」でもあるかもしれない。OBの顔色を窺いながらなので、改革もしにくくなる。
  • 地域とのつながりが密なのは小学校。中学校になると学区が広くなるので、地域とのつながりは減少する。
  • 女性間の先輩・後輩的な人間関係が、改革の妨げになることもありそう。男である自分は、女性同士の人間関係から距離を置くことができるメリットはあった。
  • リクルート出身の藤原和博氏が東京都杉並区の和田中学校校長となり、「地域本部」を作るとともに2008年にPTAを廃止、地域本部の一部門とした。
  • その後、文部科学省も学校支援地域本部の設置を推進。ただ、私の地域では、PTAはそのままの形で残り、地域本部が別立てでできるという形になった。
  • 私の経験では、学校・PTA・地域の三者が関係する組織は、成り立ちの経緯や目的の微妙な違いから統合できず、似たような組織が乱立することが多い(会議ばかり増える)。
  • PTAの活動が、地域の子ども会などの活動と重複している面もある(自治体の管轄は別。PTAは教育委員会、子ども会はたぶん児童福祉関係の部門)。
  • PTAの活動それぞれに対する「必要・不必要」、「やりたい・やりたくない」、「できる・できない」の意識は、人によってバラバラ。誰もが全部の活動を「不必要」「非効率」と思っているわけではない。例えば、
    • 活動Aは必要、Bは自分がやりたい、C、Dは不必要
    • 活動A、B、Cは不必要、Dは自分がやりたい
    • 活動A、Bは不必要、Cは必要、Dは必要
    ……のような状況のなか、活動そのものの整理統合する政治力も実行力も時間もなく、AもBもCもDも全部やることになっているのが現状。
  • PTAの活動には(1)学校の支援、(2)子どものための活動、(3)親自身のための活動、の3つの目的があるというのが私の考え。(1)は学校行事の手伝いや金銭的補助(本来は公的予算でやるべきだが予算が少ない)、(2)も学校行事の手伝いや協賛、PTA主催行事の実施など、(3)は親同士の関係づくりのための行事(親睦を図るのが主旨であるもの)や講演会への参加など。なので、「最小限の労力で合理的、効率的に目的を達成すればよい」というだけではないと思う(もちろん、その方向に特化した活動に限定する方向もあるとは思うけれど)。多少の義務感で参加してもらうことにも意味はあるはず。動員されて参加した(そうでもなければ参加することはない)講演会といっても、実際にためになるものもある。また、こういう(義務的な)活動がなければ、親同士の横のつながり(セーフティネットにもなる)ができにくい現状もあるのでは。横のつながりがなければ、学校で何か問題が起きたときの対応が難しくなりそう。
  • 各学校のPTA(単位PTA、「単P」と呼ばれる)は自治体レベルの上部組織に加盟しており、"上納金"が求められる。各学校→市区町村単位の組織→県単位の組織→日本PTA全国協議会(「日P」)というピラミッド構造になっている。
  • 小耳にはさんだ話では、東京や千葉などでは単Pの上部団体への加盟率が低下しているとのこと。
  • PTAは、スキルもバックグラウンドも生活状況も、目的意識も参画意識も本当にバラバラな人が、しかも時々しか集まらずに、「片手間で」行う活動。なのでそれゆえの難しさがある。
  • 中心メンバーが「参加して当然」「やらないのはおかしい」というスタンスでいると、絶対に問題が起きる。そういった問題発生時に個別に対応し、解決を図った経験も何回かある(私が参加したPTAは、「全員が年1回何かに参加する」タイプの活動をしていたが、どんな事情の人でも、参加が可能な/楽な活動が1つはあった)。
  • 何かの役職をやった人からは「参加してよかった」というのが一様に聞かれる反応だが、これはやはりサンクコストを正当化している面を割り引いて考えるべきだろう。
  • 私自身は、時間の都合をつけやすい仕事をしているのだから…とか、頼まれやすくついつい引き受けてしまう性格とか、そんなことで結局長年関わってしまった。何というか、子育てで大変な人が多いなかで時間や生活状況に多少なりとも余裕がある自分のような人間が周囲から妬まれないためには、何かやらなきゃまずいんじゃないかと思ったので。
    偉そうに言えば、ノブレス・オブリージュのような。
    しかし、実際にやってみると、下記の本にある「PTA会長年間400時間説」というのは、私の場合事実だった。
PTA再活用論―悩ましき現実を超えて (中公新書ラクレ)

PTA再活用論―悩ましき現実を超えて (中公新書ラクレ)

 

 

備忘録です。改善のための提案などは何もありません。